カミーユという男

僕の好きなキャラクターに、カミーユ・ビタンという男がいる。

なぜ好きか言うと、精神崩壊を起こし、バットエンドを迎えるからだ。

この記事では、カミーユがなぜ精神崩壊したのか、そこになぜ魅力を感じるのか綴っていきたい。

 

カミーユは「キレる若者」

 

カミーユは仕事のことしか考えず不倫ばっかりしてる父親とそれを知らん降りする母親のもとに生まれた。

こどもの頃、親の家庭環境がどうしようもないと、こどもは必ずグレる。こどもにとっての世の中=社会なので、親に不満があれば、世の中全てに不満を持ち、攻撃的になる。

 

「大人が大人をしてない」

 

この作品を象徴するキーワードである。

これがカミーユを悲惨な結末に導くのである。カミーユを象徴する言葉として、「コンプレックス」がある。彼は自分が女に見られることが大嫌いだったのだ。

カミーユという中性的な名前で、薫とか勝美等に当たるようだ。彼自身のルックスもかなり女性的なので、オカマなどといじられていたに違いない。

だからこそ、カミーユは柔道とか機械いじりとかホモアビス(タケコプターみたいなやつ、生身で空が飛べる)に熱中していた。バカにされればすぐに喧嘩するし、権力を振りかざす大人は大嫌いだ。

世の中への不信感と強烈な劣等感、

カミーユとても感情的で繊細な性格で「キレる若者」である。

 

純粋すぎるが故の悲劇

 

カミーユガンダム史上最高のニュータイプと評価されている。ニュータイプとは、「ちょっとしたエスパーのようなもの」と作中言われるように、直感的、感覚的な洞察力が優れ、物事の本質が見極められる存在であると考えられる。(ニュータイプの定義は錯綜しているが)

彼が強力なニュータイプ能力をなぜ身に付けられたのか、それは彼自身がとても純粋で人や物事の本質を分かっていたからだと思う。カミーユは戦争の中で何が大切で何が悪いことか感覚的に理解していた。大人になりきれないシャアを殴ったり、シロッコを「生きていてはいけないやつ」と叫ぶことができる。反対に、フォウやロザミアなどの強化人間にはわかりあおうとして、接触を試みている。

 

ただ、この作品は大人になりきれない大人が大半である。互いのエゴを押し付けあい、カミーユをはじめとするこどものことは放置。それでいて何かを改めることもない。

カミーユの激情はそうした自分勝手な大人には届かず、望んだ通り結果は得られない。逆に周りはエゥーゴのクルーはどんどんカミーユに依存していく、カミーユなら出来る、変えられると。そうしてカミーユは元々繊細な精神を蝕まれ、疲弊していく。

 

最終的には、死者の意思を取り込み、シロッコに特攻をかける。シロッコは倒したものの、彼の怨念によってカミーユの精神は連れ去られ、崩壊してしまった。

 

悲劇こそ美しい

 

機動戦士zガンダム」という作品は悲劇である。

僕はこの作品が大好きで、何度も視聴している。カミーユが崩壊するシーンはそれこそ、脳裏に焼き付くほどみた。

ハッピーエンドの方がきっと心が明るくなるはず。にも関わらず、なぜ好きなのか。それは悲劇こそリアルだからだと思う。

人間は元々ネガティブな感情を持っている生き物だ。ネガティブだからこそ、 問題を表面化し解決、発展してきた一面もある。

明日食べるものが維持出来ないのではないかという不安から、稲作が生まれ、敵に奪われるのではないか、という懸念から軍隊が生まれた。

故にネガティブは否定されるべきものではない。が、行きすぎた後ろ向き思考は、脳を萎縮させ、自殺を最終的な結論にしてしまう。だから人々はポジティブに生きようとし、そのツールとして、ハッピーエンドの作品が迎合される。

にも関わらず、人々はバッドエンドに惹かれてしまう。なぜなら、内在的に我々はハッピーエンドが絵空事だと分かっているからだ。現実は時として非情だ。リアルを感じたいという欲求があるから、zガンダムはいまだに愛される作品なのだと思う。